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年代 | 遼河流域 | 青蔵高原 | 長江上流域 | 長江中流域 | 長江下流域 | 黄河流域上流 | 黄河流域中流 | 黄河流域下流 | ||||||
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B.C.14000 | 玉蟾岩(ぎょくせんがん)文化【湖南省】(紀元前14000頃~紀元前12000頃)湖南省道県で1993年と1995年に発掘された洞窟遺跡。稲の籾殻が発見され、形状は野生種と栽培種の特徴を、またジャポニカ米とインディカ米の特徴のいずれも併せ持ち、仙人洞・呂桶環遺跡同様、野生から栽培への過度期に当たる時期と考えられていますが、栽培稲か天然稲かの区別はついていません。さらに、土器片も見つかっています。 |
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B.C.12000 | 仙人洞/呂桶環(せんにんどう/ちょうとうかん)遺跡【江西省】(紀元前12000頃)江西省万年県で1993年と1995年に発掘された、旧石器時代末期から新石器時代初期にかけての洞窟遺跡。石器や大型動物の骨製器、丸底土器の破片、栽培稲の痕跡が発見されました。これらは焼畑による陸稲栽培と考えられています。 追記:2012年に中国・米国の調査チームが1.9〜2万年前とみられる土器片280点を発見しました。 |
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B.C.8000 | 八十垱(だん)遺跡【湖南省】(紀元前8000ごろ) 1986年に発見された最古級の環濠集落です。紀元前8000年ごろの、集落を堀で囲んだ跡、大量の墓、住居、陶器、石器、骨器、さらに栽培稲の籾殻が発見されました。 |
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B.C.7500 | 彭頭山文化【湖南省】(紀元前7500頃~紀元前6100頃) |
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B.C.7000 | 裴李崗文化【黄河中流域】(紀元前7000頃~紀元前5000頃) 円形・方形の竪穴式住居に暮らし、粟作を中心とする畑作農業が行われていました。焼成温度が低く彩文の無い脆い紅陶、磨製の石斧、石棒などが出土しています。また、住居を中心として墓葬の遺跡も見つかっています。 |
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B.C.6500 | 後李文化 【山東省黄河下流域】(紀元前6500頃〜紀元前5500頃) |
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B.C.6400 | ||||||||||||||
B.C.6300 | ||||||||||||||
B.C.6200 | 東胡興隆窪文化【内モンゴル自治区から遼寧省】(紀元前6200頃-紀元前5400頃) ヒスイなどの玉製品(玦 : けつ)の出土する文化としては中国最古のもので、なおかつ龍の出現する文化としても中国最古のものです。また平底円筒状の、比較的低い温度で焼いた土器(陶器)が出土しています。 |
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B.C.6100 | ||||||||||||||
B.C.6000 | 西戎:羌・氐老官台文化【陝西省華県】(紀元前6000頃~紀元前5000頃) 円形の竪穴式住居に暮らし、粟作などの畑作農業が行われていました。このころ本格的な農耕が始まったとされています。 華県元君廟半坡類型墓葬(早期仰韶文化半坡類型の地層)から陶片が出土し、裴李崗文化・磁山文化に相近した、仰韶文化最早の北首嶺類型に属します。土器は手製で、肉が比較的薄く、内側に削り取った痕があります。紋飾は刻紋が主、次いで縄紋です。紅色寛帯紋を施した丸底彩陶鉢も出土しました。暗紅色や灰褐色の夾砂陶で、縄紋・附加堆紋・刻画紋・圧印紋、花紋を特色とし、彩陶も出土しています。 この遺跡で出土した彩陶が、今のところ最古の彩陶とみなされています。 |
磁山文化【黄河下流域】(紀元前6000頃~紀元前5500頃) 円形・楕円形の竪穴式住居に暮らし、粟作などの畑作農業が行われていました。紅褐色の夾砂陶を特色とします。 |
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B.C.5900 | ||||||||||||||
B.C.5800 | ||||||||||||||
B.C.5700 | ||||||||||||||
B.C.5600 | ||||||||||||||
B.C.5500 | ||||||||||||||
B.C.5400 | 新楽文化【遼寧省瀋陽市】(紀元前5500頃〜紀元前4800頃)新石器時代女系氏族の定住集落遺跡です。 木の彫刻「図騰鳥」(鳥のトーテム)が発見されました。 |
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B.C.5300 | 北辛文化【黄河下流域】(紀元前5300頃~紀元前4100頃) 代表遺跡は山東省騰県北辛。大汶口文化の遺跡の下から発見されました。 |
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B.C.5200 | ||||||||||||||
B.C.5100 | ||||||||||||||
B.C.5000 | 馬家浜(まかほう)文化【浙江省】(紀元前5000頃~紀元前3800頃) 長江河口付近の太湖から杭州湾北岸にかけての地域に広がっていた文化です。 灌漑が行なわれ始め、コメを栽培していたほか、ブタの飼育を行っていた痕跡や、ノロジカなども見つかっており、動物の狩猟や飼育も行なっていたことがわかります。またヒスイなどによる装飾品や、比較的高い温度で焼いた紅陶、衣服の繊維なども発見されています。 |
河姆渡文化【浙江省】(紀元前5000頃〜紀元前3400頃) |
後岡文化【黄河下流域】(紀元前5000頃~紀元前4100頃) 代表遺跡は河南省安陽市後岡。北辛文化を継承して発展しました。 |
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B.C.4900 | ||||||||||||||
B.C.4800 | 西戎:羌・氐仰韶文化(紀元前4800頃~紀元前3000頃)
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B.C.4700 | ||||||||||||||
B.C.4600 | ||||||||||||||
B.C.4500 | 趙宝溝文化【内モンゴル自治区・河北省】(紀元前4500頃〜紀元前4000頃) 狩猟・採集・漁労のほか、農耕も行ったとみられます。この文化の末期に、大きな祭祀遺跡を築いた紅山文化が出現しました。 |
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B.C.4400 | 大渓文化【重慶市及び湖北省から湖南省の三峡周辺及び両湖平原】(紀元前4400頃~紀元前3300頃) 長江下流のデルタ地帯との文化の交流があったことがわかっていて、白い皿などの遺物は、太湖周辺の馬家浜文化の遺跡からも発見されています。逆に、ヒスイの玉などの遺物は、馬家浜文化の影響を受けた可能性があります。 代表的遺跡の城頭山遺跡からは、紀元前4300年頃の城壁が見つかっていて、中国最古の城跡と見られています。 |
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B.C.4300 | ||||||||||||||
B.C.4200 | ||||||||||||||
B.C.4100 | 大汶口文化【黄河下流域】(紀元前4100頃~紀元前2600頃) 出土物からこの文化が仰韶文化と同時期かそれよりも古いことが確認されました。大汶口文化に関係するのは遺跡の層の中でも中間部分だけで、深い層は北辛文化(紀元前5300年 - 紀元前4100年)に、新しい層は龍山文化(紀元前3000年 - 紀元前2000年)に関係する特徴が見られます。 発掘物から、初期においては階級差は大きくなかったと考えられ、出土する人骨の性別などから当時の社会は母系氏族共同体だったと推測されています。この時期は鬹(き)といわれる三足器や紅陶でできた鼎など多様な形をした陶器が特徴です。 |
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B.C.4000 | ||||||||||||||
崧沢(すうたく)文化【上海市青浦区崧澤村】(紀元前3800年頃〜紀元前3200年頃) また陶器では高温で焼いた黒陶、灰陶なども出土していて、土器片の中には、刻画文や刻画符号などが刻まれているものもあります。遺跡からは籾殻など稲作の痕跡を示すものや、食べた獣や魚などの骨も見つかっています。 |
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紅山文化【遼寧省西部・内蒙古東南部・河北省北部】(紀元前3400頃~紀元前2300頃) |
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B.C.3500 | ||||||||||||||
西戎:羌馬家窯文化【甘粛・隴西平原・隴東山地・河西の黄河上流域】(紀元前3100頃~紀元前2700頃) 仰韶文化廟底溝類型が地方分化したもので、斉家文化に至る過渡的文化です。土器は彩陶が発達し、随葬品の80%が彩陶です。 石嶺下類型期・馬家窯類型期・半山類型期・馬廠類型期の4類型に分類されます。 |
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B.C.3000 | 西戎:羌卡若(カロ)文化【チベット自治区チャムド】(紀元前3000頃〜紀元前2000頃) 前期の遺跡からは円錐形の住居跡、後期では半地下の石造りの住居跡が見つかっています。また、原始宗教に関連する円形の石舞台の跡もあります。 出土物からは西域やカシミールとの交易も考えられています。 |
屈家嶺(くつかれい)文化【湖北省京山県屈家嶺】(紀元前3000頃~紀元前2600頃) 独特の遺物としては、陶でできた鉢や彩色紡錘車があります。彩色紡錘車は紡織の発達を示すものであり、石家河文化へも紡錘車は引き継がれました。 初期は長江中流の大渓文化を引き継ぎ、後期は龍山文化へとつながっています。 |
南蛮:越族良渚(りょうしょ)文化【浙江省】(紀元前3200頃〜紀元前2200頃) 分業や階層化も行なわれたと見られ、殉死者を伴う墓が発見されています。 黄河文明の竜山文化とは相互に関係があったと見られています。 |
東夷(羌+越+東胡)中原龍山文化【黄河中流域】(紀元前3000頃~紀元前2000頃) (河南龍山文化と陝西龍山文化)に分かれています。
中原龍山文化は仰韶後期文化を継承し、灰陶が主流。骨を灼いて罅割れを見る占卜もこのころ始まったとされています。 ※東胡=ツングース |
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B.C.2900 | ||||||||||||||
B.C.2800 | ||||||||||||||
B.C.2700 | ||||||||||||||
B.C.2600 | 東夷(羌+越+東胡)山東龍山文化【黄河下流域】(紀元前2600頃〜紀元前2000頃) 中国中央研究院歴史語言研究所によって1930年、山東省章丘県龍山鎮で遺跡が発見されました。 黒陶(黒色土器)や灰陶を特色とする文化です。黒陶は薄手で精巧に作られた黒色の土器で、製作にはロクロが使用されていました。
山東龍山文化は大汶口文化を継承しており、黒陶が主流です。
夏王朝につながる遊牧発の父系集団です。 ※東胡=ツングース |
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B.C.2500 | 宝墩(ほうとん)文化【成都市新津県龍馬郷宝墩村】(紀元前2500頃 〜紀元前1750頃) 日本では龍馬古城とも呼ぶ。 成都平原の岷江扇状地に、新石器時代の城壁で囲まれた複数の集落跡が発見されました。 運河として使われていたと見られる河道跡、巨大神殿とおもわれる柱穴などが見つかっています。 また、縄紋様のある陶器も発見されていて、三星堆遺跡から出土した陶器との関連性が見られます。
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楚:三苗石家河(せきかが)文化【湖北省】(紀元前2500頃~紀元前2000頃) 土器、塑像、紡績の用具、玉器が出土しており、屈家嶺文化を継承した灰陶器を主流とし、銅器も発見されています。 城壁の一辺の長さが1100~1200m、その外に幅数十mの環濠をめぐらせた、古国と呼ばれる国家に近い巨大な防御システムを形成した母系集団です。 |
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B.C.2400 | 西戎:羌斉家文化【甘粛省広河県斉家坪】(紀元前2400頃〜紀元前1800頃) 末期には西から東へと縮小し、人口の減少に苦しめられました。 |
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B.C.2300 | ||||||||||||||
B.C.2200 | ||||||||||||||
B.C.2100 | ||||||||||||||
B.C.2000 | 夏家店下層文化【内モンゴル自治区・遼寧省】(紀元前2000頃〜紀元前1500頃) |
西戎:羌喇家(らつか)文明 【青海省民和回族土族自治県官亭鎮】 地震に伴って黄河の水が流入して起きた水害により、一瞬にして町が水没し、泥によって密封された状態で発見されたため、東方のポンペイとも言われています。 世界でもっとも古い麺類が、2005年10月にこの遺跡から出土しました。麺は密封された器の中から発見され、分析の結果、粟が原料で、放射性炭素年代測定で約4000年前のものと確認されました。器の内部は半真空状態になっていたため、現在まで残っていたと考えられます。 多くの文化財や建物が2000年の発見時に至るまで残ってきたため、中国の考古学上重要な遺跡の一つとなっています。同時期に、甘粛省を中心に青海省から陝西省にかけて見られた斉家文化との関連も考えられています。 |
巴蜀:羌⇒氐三星堆文化【四川省】(紀元前2000頃~紀元前850頃)
巴蜀文字:巴蜀文化で用いられた、中国唯一の非漢字系統の文字。 印章の他に楽器や武器などにも施されましたが、インダス文字同様に解読はおろか、絵文字・象形文字・表意文字・音節文字など文字系統については未解明です。 |
北狄+羌+東夷(越)二里頭文化【河南省偃師市】 (紀元前2069頃~紀元前1600頃) 宮殿跡や青銅器工房が発見され、2km四方の城壁跡と2基の大型基壇があることから、夏王朝の都城と想定されています。 また、この時期以降、中国ではトルコ石の象嵌が多く見られるようになりました。 |
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B.C.1900 | 馬橋文化【上海市馬橋】(紀元前1900頃〜紀元前1100頃) |
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B.C.1800 | ||||||||||||||
B.C.1700 | 西戎:羌曲貢文化【チベット自治区】(紀元前1750頃〜紀元前1500頃) 1984年、チベット自治区ラサ市北部娘熱山麓の海抜3690mの曲貢村で発見されました。 発掘面積は3187.5平方mで、多数の石室墓や祭祀跡などが見つかっています。 住居は方形で石造りの基礎となっていて、住居跡からは大量の木炭や草木の灰が出土していて、炭素14測定法によって3115年前の物と確認されています。 また、大量の石器、陶器、骨器、銅器も見つかっていて、陶器は主に灰陶が多く、磨光黒陶や紅陶も出土しています。いずれも文様や浮き彫りを始めとする刻文、縄文などの豊富な装飾が施されています。特に長さ4.5cmx幅4cmの猿型面の装飾物、『黒陶単耳平底罐(高17.5cm、口径8.6cm、最大直径16.5cm)』や『黒陶高足単耳杯(高11.5cm、口径12.4cm)』は造りも精巧で、この時期の装飾技術が高い水準だったことを表しています。後期の陶器製造技術は、吐蕃文化にも影響を与えたと見られています。 |
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B.C.1600 | 西戎:羌卡約(カユエ)文化【青海省海北チベット族自治州海晏県】(紀元前1600頃〜600頃) |
東夷:二里岡文化【河南省鄭州市】(紀元前1600頃〜紀元前1400頃) |
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B.C.1500 | 西戎:羌小恩達文化【チベット自治区】(紀元前1500頃〜紀元前1000頃) 1986年から発掘が始まり、現在までに住居跡、石棺墓、大量の石器や陶器が見つかっています。 |
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B.C.1400 | 西戎:羌寺洼文化【蘭州以東〜青海省】(紀元前1400頃〜紀元前700頃) |
呉城文化【江西省】(紀元前1400頃~紀元前1000頃) |
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B.C.1300 | 巴蜀:羌⇒氐十二橋文化【四川省】(紀元前1300頃~紀元前500頃) 三星堆文化に続く川西文化です。 |
殷墟【河南省安陽市】(紀元前1300頃〜紀元前1046) 大量の甲骨や青銅器、複数の巨大王墓、祭祀基壇が発見されています。 |
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B.C.1200 | ||||||||||||||
B.C.1100 | 夏家店上層文化【内モンゴル自治区赤峰市】(紀元前1100頃〜紀元前500頃) |
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B.C.1000 | 西戎:羌諾木洪(ノムホン)文化【青海省】(紀元前1000頃〜) 1959年に青海省ツァイダム盆地で発見された青銅器時代後期の文化です。標式遺跡はシャルヤマカブ(夏尔雅玛可布)遺跡。60〜80cmの文化層が堆積していて、川原の丸石を積み上げた幅1メートル、高さ50センチの石垣が発見されています。夾砂紅陶、灰陶などの土器片、石器、馬・牛・羊・ラクダの獣骨や獣骨で作った笛などの楽器が出土している他、ヤクの毛を使用した、衣類や生活用品などの毛織物が多く見つかっています。これらは現在のチベット絨毯の原型とされています。また、ヤクをかたどった陶器は精巧な作りが特徴です。
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周王朝=羌族系西周(紀元前1023〜紀元前770) |
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B.C.900 | ||||||||||||||
B.C.800 | ||||||||||||||
B.C.700 | 春秋楚、呉、越 |
東周(紀元前770〜紀元前256) 紀元前1023年:武王が殷を滅ぼし、周を興しました。 |
春秋秦、晋、鄭、衛、宋、陳、魯、斉、燕 |
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B.C.600 | ||||||||||||||
B.C.500 | 巴蜀:羌⇒氐巴蜀文化【四川省】(紀元前500頃~紀元前316) 十二橋文化と東部渓谷文化の巴族文化が春秋中期頃に融合した文化です。 独自色の強い『船棺葬』が特徴です。巴蜀文化の特徴とされる円鉞や把槍剣は巴文化の名残とされ、懸崖葬が土葬になった後も船形棺は用いられ、長江流域の船棺葬は清代まで継続したことも確認されています。 |
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B.C.400 | ||||||||||||||
B.C.300 | 戦国楚 |
戦国秦、韓、趙、魏、燕、斉 |
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B.C.200 | 秦(西戎:羌?)
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年代 | 遼河流域 | 青蔵高原 | 長江上流域 | 長江中流域 | 長江下流域 | 黄河流域上流 | 黄河流域中流 | 黄河流域下流 |