流域の地域区分

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年代 遼河流域 青蔵高原 長江上流域 長江中流域 長江下流域 黄河流域上流 黄河流域中流 黄河流域下流
B.C.14000      

玉蟾岩(ぎょくせんがん)文化

【湖南省】(紀元前14000頃~紀元前12000頃)湖南省道県で1993年と1995年に発掘された洞窟遺跡。稲の籾殻が発見され、形状は野生種と栽培種の特徴を、またジャポニカ米とインディカ米の特徴のいずれも併せ持ち、仙人洞・呂桶環遺跡同様、野生から栽培への過度期に当たる時期と考えられていますが、栽培稲か天然稲かの区別はついていません。さらに、土器片も見つかっています。      

       
B.C.12000

仙人洞/呂桶環(せんにんどう/ちょうとうかん)遺跡

【江西省】(紀元前12000頃)江西省万年県で1993年と1995年に発掘された、旧石器時代末期から新石器時代初期にかけての洞窟遺跡。石器や大型動物の骨製器、丸底土器の破片、栽培稲の痕跡が発見されました。これらは焼畑による陸稲栽培と考えられています。

追記:2012年に中国・米国の調査チームが1.9〜2万年前とみられる土器片280点を発見しました。

B.C.8000

八十垱(だん)遺跡

【湖南省】(紀元前8000ごろ) 1986年に発見された最古級の環濠集落です。紀元前8000年ごろの、集落を堀で囲んだ跡、大量の墓、住居、陶器、石器、骨器、さらに栽培稲の籾殻が発見されました。

B.C.7500      

彭頭山文化

【湖南省】(紀元前7500頃~紀元前6100頃)
1988年に湖南省沣県彭頭山で発見された環濠集落です。紀元前7000年頃の米のもみ殻などが発見され、稲の散播農法を主流としていたと考えられています。

       
B.C.7000

裴李崗文化

【黄河中流域】(紀元前7000頃~紀元前5000頃)
代表遺跡は河南省新鄭県裴李崗で、華北各地、豫中一帯・豫北・豫南に分布しています。

円形・方形の竪穴式住居に暮らし、粟作を中心とする畑作農業が行われていました。焼成温度が低く彩文の無い脆い紅陶、磨製の石斧、石棒などが出土しています。また、住居を中心として墓葬の遺跡も見つかっています。

B.C.6500  

後李文化

【山東省黄河下流域】(紀元前6500頃〜紀元前5500頃)
新石器時代の文化。
方形の竪穴式住居に住み、イヌやブタを飼っていた痕跡が見つかっています。紅褐陶の陶器や各種石器、地下の貯蔵穴、墓穴なども多数発見されています。
後李文化に属する遺跡は山東省の平野部からいくつか発見され、同じく山東省で見つかる北辛文化ヘと引き継がれていきました。

B.C.6400
B.C.6300
B.C.6200

東胡

興隆窪文化

【内モンゴル自治区から遼寧省】(紀元前6200頃-紀元前5400頃)

ヒスイなどの玉製品(玦 : けつ)の出土する文化としては中国最古のもので、なおかつ龍の出現する文化としても中国最古のものです。また平底円筒状の、比較的低い温度で焼いた土器(陶器)が出土しています。
環濠集落で、環濠の中は2万平方mもある大集落。埋葬の風習も独特のものであり、いくつかの遺骨は住居の下に埋葬されていました。

B.C.6100  
B.C.6000

西戎:羌・氐

老官台文化

【陝西省華県】(紀元前6000頃~紀元前5000頃)
代表遺跡は陝西省華県老官台。

円形の竪穴式住居に暮らし、粟作などの畑作農業が行われていました。このころ本格的な農耕が始まったとされています。

華県元君廟半坡類型墓葬(早期仰韶文化半坡類型の地層)から陶片が出土し、裴李崗文化・磁山文化に相近した、仰韶文化最早の北首嶺類型に属します。土器は手製で、肉が比較的薄く、内側に削り取った痕があります。紋飾は刻紋が主、次いで縄紋です。紅色寛帯紋を施した丸底彩陶鉢も出土しました。暗紅色や灰褐色の夾砂陶で、縄紋・附加堆紋・刻画紋・圧印紋、花紋を特色とし、彩陶も出土しています。

この遺跡で出土した彩陶が、今のところ最古の彩陶とみなされています。

磁山文化

【黄河下流域】(紀元前6000頃~紀元前5500頃)
代表遺跡は河北省武安県磁山。

円形・楕円形の竪穴式住居に暮らし、粟作などの畑作農業が行われていました。紅褐色の夾砂陶を特色とします。

B.C.5900
B.C.5800
B.C.5700
B.C.5600
B.C.5500    
B.C.5400

新楽文化

【遼寧省瀋陽市】(紀元前5500頃〜紀元前4800頃)新石器時代女系氏族の定住集落遺跡です。

木の彫刻「図騰鳥」(鳥のトーテム)が発見されました。

B.C.5300

北辛文化

【黄河下流域】(紀元前5300頃~紀元前4100頃)

代表遺跡は山東省騰県北辛。大汶口文化の遺跡の下から発見されました。
黄褐陶や紅陶を特色とします。一部ではさらに高い温度で焼いた灰陶や黒陶も出土しています。
石斧や石鎌などに用いた磨製石器や打製石器、骨角器なども発見されました。
当時は採集や狩猟のほかに、雑穀を栽培する原始的な農業や、ブタやスイギュウなどの飼育がおこなわれていたことがわかっています。

B.C.5200
B.C.5100
B.C.5000

馬家浜(まかほう)文化

【浙江省】(紀元前5000頃~紀元前3800頃)

長江河口付近の太湖から杭州湾北岸にかけての地域に広がっていた文化です。

灌漑が行なわれ始め、コメを栽培していたほか、ブタの飼育を行っていた痕跡や、ノロジカなども見つかっており、動物の狩猟や飼育も行なっていたことがわかります。またヒスイなどによる装飾品や、比較的高い温度で焼いた紅陶、衣服の繊維なども発見されています。

河姆渡文化

【浙江省】(紀元前5000頃〜紀元前3400頃)
1973年、浙江省余姚県河姆渡で遺跡が発見されました。
多量の稲籾(インディカ米が7割でそのほかジャポニカ米など)の堆積があり、さらに稲作工具である木製の柄をつけた170個余の骨耜(鋤先)が出土したことから、稲作を行っていたことがわかっています。
また、木造ホゾ組みの高床式住居に暮らし、機を織り、うるしを使用していたと考えられています。

     

後岡文化

【黄河下流域】(紀元前5000頃~紀元前4100頃)

代表遺跡は河南省安陽市後岡。北辛文化を継承して発展しました。

B.C.4900
B.C.4800        

西戎:羌・氐

仰韶文化

(紀元前4800頃~紀元前3000頃)
1921年、河南省仰韶村で発見された陶(赤地に彩色した土器)を特色とする文化です。


仰韶文化半坡類型

【黄河上中流域】(紀元前4800頃~紀元前4000頃)
代表遺跡は陝西省西安市半坡。裴李崗文化と老官台文化が融合し、発展しました。紅陶が主流です。 母系制で、農村の階層化がみられます。

 


仰韶文化廟底溝類型

【黄河上中流域】(紀元前4000頃~紀元前3500頃)

半坡類型文化が拡大しつつ、後岡文化や大汶口文化の影響も受けました。代表遺跡の西山遺跡からは、総長300mの城壁の基底部や北門・西門の他に、城内からは200余棟の住居跡や228基の共同墓地が出土しています。
ろくろの使用が見られます。

原始氏族性社会の残る環濠集落で、住居は半地下の竪穴式です。他にも区画された共同墓地も見つかっています。

 


仰韶文化後期

(紀元前3500年以降) このころには貧富の差がみられ、社会の分業・階層化が進みました。
仰韶文化半坡後期類型【黄河中流域】
仰韶文化西王村類型【黄河上中流域】
仰韶文化大司空類型【黄河上中流域】
仰韶文化秦王塞類型【黄河中流域】
の四種の文化に大別されます。

 

仰韶文化期の人々は粟・黍を栽培し、豚・犬を飼い、また鹿などの狩猟も行っていました。
主として竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用していました。
彩陶は薄い赤色の地に赤・白・黒などの色を使用して文様が施されている素焼きの土器で甕・鉢・碗型のものが多く、焼成温度は約1000度位です。

B.C.4700    
B.C.4600    
B.C.4500

趙宝溝文化

【内モンゴル自治区・河北省】(紀元前4500頃〜紀元前4000頃)

狩猟・採集・漁労のほか、農耕も行ったとみられます。この文化の末期に、大きな祭祀遺跡を築いた紅山文化が出現しました。
この文化の遺跡からは石鋤や石包丁などといった磨製石器や打製石器のほか、幾何学模様やシカ、イノシシといった動物の模様の刻まれた陶器が出土しており、石や土で作った人型も発見されています。

   
B.C.4400

大渓文化

【重慶市及び湖北省から湖南省の三峡周辺及び両湖平原】(紀元前4400頃~紀元前3300頃)
1958年、重慶市巫山県大渓で遺跡が発見されました。
出土土器は紅陶を特色とし、稲作の灌漑農法が確立し、竹編みの泥壁のある家屋を中心とした環濠集落なども発見されています。また、葛を使用した織物が発見されています。

長江下流のデルタ地帯との文化の交流があったことがわかっていて、白い皿などの遺物は、太湖周辺の馬家浜文化の遺跡からも発見されています。逆に、ヒスイの玉などの遺物は、馬家浜文化の影響を受けた可能性があります。

代表的遺跡の城頭山遺跡からは、紀元前4300年頃の城壁が見つかっていて、中国最古の城跡と見られています。

B.C.4300
B.C.4200
B.C.4100

大汶口文化

【黄河下流域】(紀元前4100頃~紀元前2600頃)
1959年、山東省寧陽県堡頭村で遺跡が発見され、のちに山東省泰安県大汶口でも発見されて、こちらが代表遺跡となりました。
前期は紅陶が主流でしたが、後期には黒陶・灰陶が主流となりました。後期の卵殻黒陶の高柄杯は、精巧で美しく、山東龍山文化に受け継がれました。

出土物からこの文化が仰韶文化と同時期かそれよりも古いことが確認されました。大汶口文化に関係するのは遺跡の層の中でも中間部分だけで、深い層は北辛文化(紀元前5300年 - 紀元前4100年)に、新しい層は龍山文化(紀元前3000年 - 紀元前2000年)に関係する特徴が見られます。
遺跡からはトルコ石・ヒスイ・象牙などでできた加工品、および陶器が多く発見されています。
早期(紀元前4100年 - 紀元前3500年)、中期(紀元前3500年 - 紀元前3000年)、後期(紀元前3000年 - 紀元前2600年)と、大きく3つの時期に分かれます。

発掘物から、初期においては階級差は大きくなかったと考えられ、出土する人骨の性別などから当時の社会は母系氏族共同体だったと推測されています。この時期は鬹(き)といわれる三足器や紅陶でできた鼎など多様な形をした陶器が特徴です。
中期に入ると出土する陶器は紅陶にかわって灰陶・黒陶が増え、量の大きさや文様・形の多様さが明確になります。また父系氏族共同体が確立した様子がみられます。
後期に入ると墳墓の中に木製の棺が現れます。父系氏族共同体の末期に入り階層化が進み、大量の副葬品が発見される墳墓もあります。土器は灰陶・黒陶が主流となり、薄く精巧になってゆき、黒陶や卵殻陶(卵の殻のような薄さの陶器)を特徴とする龍山文化につながってゆくことがわかります。

B.C.4000    
 
 

崧沢(すうたく)文化

【上海市青浦区崧澤村】(紀元前3800年頃〜紀元前3200年頃)
長江下流の太湖周辺に存在した文化です。遺跡からは石器や骨器のほか、墓穴からは随葬品として多数の玉器が発見されていて、玉による腕輪などの装飾品が作られ始めたことがわかります。

また陶器では高温で焼いた黒陶、灰陶なども出土していて、土器片の中には、刻画文や刻画符号などが刻まれているものもあります。遺跡からは籾殻など稲作の痕跡を示すものや、食べた獣や魚などの骨も見つかっています。

 
 

紅山文化

【遼寧省西部・内蒙古東南部・河北省北部】(紀元前3400頃~紀元前2300頃)
彩陶文化の系統で、黒彩土器が発掘されています。
細石器を特徴とし、玉器も出土しています。農業を主とした文化で、龍などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や存在の可能性が考えられています。

B.C.3500  
 
     
   
 

西戎:羌

馬家窯文化

【甘粛・隴西平原・隴東山地・河西の黄河上流域】(紀元前3100頃~紀元前2700頃)
中国西北の内陸部である黄河上流部の甘肅省や青海省に存在した新石器時代後期の文化です。

仰韶文化廟底溝類型が地方分化したもので、斉家文化に至る過渡的文化です。土器は彩陶が発達し、随葬品の80%が彩陶です。

石嶺下類型期・馬家窯類型期・半山類型期・馬廠類型期の4類型に分類されます。

B.C.3000

西戎:羌

卡若(カロ)文化

【チベット自治区チャムド】(紀元前3000頃〜紀元前2000頃)
新石器時代後期の遺跡で、前期と後期に分かれています。

前期の遺跡からは円錐形の住居跡、後期では半地下の石造りの住居跡が見つかっています。また、原始宗教に関連する円形の石舞台の跡もあります。

出土物からは西域やカシミールとの交易も考えられています。

 

屈家嶺(くつかれい)文化

【湖北省京山県屈家嶺】(紀元前3000頃~紀元前2600頃)
1954年、湖北省京山県屈家嶺で遺跡が発見されました。
出土土器は黒陶を特色とします。
大渓文化を継承し、職集団の分業化が進み、城壁都市が出現しており、城内には運河もありました。稲作の痕跡もあります。
甕棺墓の副葬品から、貧富の差があったことがわかっています。

独特の遺物としては、陶でできた鉢や彩色紡錘車があります。彩色紡錘車は紡織の発達を示すものであり、石家河文化へも紡錘車は引き継がれました。

初期は長江中流の大渓文化を引き継ぎ、後期は龍山文化へとつながっています。

南蛮:越族

良渚(りょうしょ)文化

【浙江省】(紀元前3200頃〜紀元前2200頃)
1936年、浙江省余杭市良渚鎮で400近い遺跡が発見されました。
馬家浜・崧沢文化を継承して発展し、高水準の玉器が特色です。
柱形・錐形・三叉形など多様な玉器、絹織や麻織、竹編物、ろくろによる黒陶・灰陶製造が行われていました。
稲・豆・ゴマ・落花生などの穀物が多く発見されています。
このころには父系社会に移行し、階級制度と貧富のある都市国家が形成されていたと考えられています。

分業や階層化も行なわれたと見られ、殉死者を伴う墓が発見されています。

黄河文明の竜山文化とは相互に関係があったと見られています。

 

東夷(羌+越+東胡)

中原龍山文化

【黄河中流域】(紀元前3000頃~紀元前2000頃)

河南龍山文化陝西龍山文化)に分かれています。
黒陶(黒色土器)や灰陶を特色とする文化です。黒陶は薄手で精巧に作られた黒色の土器で、製作にはロクロが使用されていました。
鬲(れき、湯をわかしたり、蒸すのに使う)・鼎(てい、物を煮るのに使う)などの三足土器が特徴で、焼成温度は約1000度以上です。
後期には銅器の鋳造もおこなっていました。
このころには農具や農業技術が進歩し、仰韶文化期よりもさらに大きな集落(邑)が形成されるようになりました。

 

中原龍山文化は仰韶後期文化を継承し、灰陶が主流。骨を灼いて罅割れを見る占卜もこのころ始まったとされています。

夏王朝につながる遊牧発の父系集団です。

※東胡=ツングース

B.C.2900
B.C.2800
B.C.2700  
B.C.2600  

東夷(羌+越+東胡)

山東龍山文化

【黄河下流域】(紀元前2600頃〜紀元前2000頃)

中国中央研究院歴史語言研究所によって1930年、山東省章丘県龍山鎮で遺跡が発見されました。

黒陶(黒色土器)や灰陶を特色とする文化です。黒陶は薄手で精巧に作られた黒色の土器で、製作にはロクロが使用されていました。
鬲(れき、湯をわかしたり、蒸すのに使う)・鼎(てい、物を煮るのに使う)などの三足土器が特徴で、焼成温度は約1000度以上です。
後期には銅器の鋳造もおこなっていました。
このころには農具や農業技術が進歩し、仰韶文化期よりもさらに大きな集落(邑)が形成されるようになりました。

 

山東龍山文化は大汶口文化を継承しており、黒陶が主流です。

 

夏王朝につながる遊牧発の父系集団です。

※東胡=ツングース

B.C.2500

宝墩(ほうとん)文化

【成都市新津県龍馬郷宝墩村】(紀元前2500頃 〜紀元前1750頃)

日本では龍馬古城とも呼ぶ。

成都平原の岷江扇状地に、新石器時代の城壁で囲まれた複数の集落跡が発見されました。

運河として使われていたと見られる河道跡、巨大神殿とおもわれる柱穴などが見つかっています。

また、縄紋様のある陶器も発見されていて、三星堆遺跡から出土した陶器との関連性が見られます。

 

楚:三苗

石家河(せきかが)文化

【湖北省】(紀元前2500頃~紀元前2000頃)
1990年、湖北省天門県石家河で発見された、長江中流域で最初かつ最大級の都市遺跡です。

土器、塑像、紡績の用具、玉器が出土しており、屈家嶺文化を継承した灰陶器を主流とし、銅器も発見されています。
版築による南北1.3km、東西1.1kmの城壁があり、城外から水を引き込んだり、運河として使用した跡があります。
伝説では、石家河の住民は三苗民族とされ、堯・舜・禹に代表される黄河流域の勢力と死闘を繰り返したそうです。

城壁の一辺の長さが1100~1200m、その外に幅数十mの環濠をめぐらせた、古国と呼ばれる国家に近い巨大な防御システムを形成した母系集団です。

B.C.2400

西戎:羌

斉家文化

【甘粛省広河県斉家坪】(紀元前2400頃〜紀元前1800頃)
新石器時代末期から青銅器時代初期の文化です。
黄河上流の甘粛省蘭州市一帯を中心とし、東は陝西省の渭水上流に及び、西は青海省東部の湟水河流域に、北は寧夏回族自治区および内モンゴル自治区に及んでいます。遺跡の数は300か所以上で、甘粛省永靖県の大河荘遺跡と泰魏家遺跡、武威市の皇娘娘台遺跡、青海省楽都県の柳湾遺跡などがあります。青海省民和回族土族自治県の喇家遺跡もこの文化との関係があるとみられています。
遺跡の南東部には良質のトルコ石が産出され、この時期トルコ石象嵌細工の初期のものが見られます。

末期には西から東へと縮小し、人口の減少に苦しめられました。

B.C.2300  
B.C.2200  
B.C.2100
B.C.2000

夏家店下層文化

【内モンゴル自治区・遼寧省】(紀元前2000頃〜紀元前1500頃) 
北西は内蒙古自治区東部のシラムレン川北岸から張家口にかけて、南東は河北省北部から遼寧省西部を中心とした文化です。内蒙古自治区赤峰市夏家店遺跡の下層を標式遺跡として、小河沿文化に続いています。
生活の中心は雑穀栽培で、他に牧畜、狩猟、漁労も行われました。遺跡からは豚、犬、羊、牛、鹿などの骨が見つかっています。多数の大規模集落が発見されており、東アジアの気候が寒冷化した戦国時代や前後漢の時期よりも人口密度が高かったと推定されています。
石器、骨器、陶器が見出されており、他に少数の金、鉛、漆器、翡翠、銅器、青銅器も見つかっています。陶器は三足型、銅器・青銅器は耳輪型が多く、骨を使った卜占も行われたもようです。住居の多くは円形で、土と石で造られ、集落は崖や急斜面のそばに造られて防御され、併せて石壁が集落の周囲に立てられていました。
土器・陶器や青銅器の様式などから、商文化に属する人々が北東へ移住したと考えられています。

 

西戎:羌

喇家(らつか)文明

【青海省民和回族土族自治県官亭鎮】
(紀元前2000頃)

地震に伴って黄河の水が流入して起きた水害により、一瞬にして町が水没し、泥によって密封された状態で発見されたため、東方のポンペイとも言われています。

世界でもっとも古い麺類が、2005年10月にこの遺跡から出土しました。麺は密封された器の中から発見され、分析の結果、粟が原料で、放射性炭素年代測定で約4000年前のものと確認されました。器の内部は半真空状態になっていたため、現在まで残っていたと考えられます。

多くの文化財や建物が2000年の発見時に至るまで残ってきたため、中国の考古学上重要な遺跡の一つとなっています。同時期に、甘粛省を中心に青海省から陝西省にかけて見られた斉家文化との関連も考えられています。

巴蜀:羌⇒氐

三星堆文化

【四川省】(紀元前2000頃~紀元前850頃)
1986年、四川省広漢市三星堆で遺跡が発見された川西文化の仮面王国です。
約2キロ四方の版築に囲まれた城壁都市を築いていました。
金器・青銅器・玉器・象牙・子安貝など遺物が多く、「立人像」「神樹」「縦目仮面」など遺物の造形も特異なものが多くみつかっています。
史書によると古代の四川省地方では蚕叢・柏灌・魚鳧・杜宇・鼈霊(開明)の王朝が出現し、太陽神を祀っていたとされています。(四川省は天府の国とも呼ばれており、このころの長江上流域の中心地。)
内部抗争で紀元前850年ごろに滅び、新たにこの地方に拠点を作った勢力が「蜀」、「巴」という氏族国家の始まりとみなされています。
初期の「巴蜀文字」はインダス文字に類似しており、特に印章はインダス印章に酷似しています。

 

巴蜀文字:巴蜀文化で用いられた、中国唯一の非漢字系統の文字。 印章の他に楽器や武器などにも施されましたが、インダス文字同様に解読はおろか、絵文字・象形文字・表意文字・音節文字など文字系統については未解明です。

 

北狄+羌+東夷(越)

二里頭文化

【河南省偃師市】 (紀元前2069頃~紀元前1600頃)
中原龍山文化河南類型から発展し、黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化です。

宮殿跡青銅器工房が発見され、2km四方の城壁跡と2基の大型基壇があることから、夏王朝の都城と想定されています。

また、この時期以降、中国ではトルコ石の象嵌が多く見られるようになりました。

B.C.1900

馬橋文化

【上海市馬橋】(紀元前1900頃〜紀元前1100頃)
良渚文化が終焉を迎え、この地域の人口が大幅に減少した後、上海市の馬橋遺跡を標準とする馬橋文化が興り、それまで独自の文化を育んだ江南の諸地域に、広範囲に渡る比較的均質な江南農耕文化が広がりました。
※黄河流域の黒陶文化後半から殷王朝、周王朝と同時期で、黄河流域から押し寄せる金属器文化の奔流に抗して、大同団結した文化圏と位置付けられています。この後、呉・越などの国々が興亡を繰り広げる春秋戦国時代に巻き込まれていきます。

B.C.1800  
B.C.1700

西戎:羌

曲貢文化

【チベット自治区】(紀元前1750頃〜紀元前1500頃)

1984年、チベット自治区ラサ市北部娘熱山麓の海抜3690mの曲貢村で発見されました。

発掘面積は3187.5平方mで、多数の石室墓祭祀跡などが見つかっています。

住居は方形で石造りの基礎となっていて、住居跡からは大量の木炭や草木の灰が出土していて、炭素14測定法によって3115年前の物と確認されています。

また、大量の石器、陶器、骨器、銅器も見つかっていて、陶器は主に灰陶が多く、磨光黒陶や紅陶も出土しています。いずれも文様や浮き彫りを始めとする刻文、縄文などの豊富な装飾が施されています。特に長さ4.5cmx幅4cmの猿型面の装飾物、『黒陶単耳平底罐(高17.5cm、口径8.6cm、最大直径16.5cm)』や『黒陶高足単耳杯(高11.5cm、口径12.4cm)』は造りも精巧で、この時期の装飾技術が高い水準だったことを表しています。後期の陶器製造技術は、吐蕃文化にも影響を与えたと見られています。

 
B.C.1600

西戎:羌

卡約(カユエ)文化

【青海省海北チベット族自治州海晏県】(紀元前1600頃〜600頃)

東夷:

二里岡文化

【河南省鄭州市】(紀元前1600頃〜紀元前1400頃)
中国の黄河中流から下流を中心に栄えた青銅器時代の文化です。商(殷)王朝の初期の中心地と考えられています。
周囲約7kmの城壁に囲まれた都城で、城壁の外に骨器や陶器を作る大きな工房群が位置していました。工房の中には、二つの青銅器工房も含まれています。青銅器を大々的に使用する中国最初の文化であり、その初期には急速に勢力を拡大して長江流域にまで至り、湖北省黄陂県(現在の武漢市黄陂区)の盤龍城遺跡(長江流域で発見されている唯一の商代の都市遺跡)からは多くの青銅器が出土しています。二里岡のある鄭州付近は銅の出土が少なく、盤龍城は銅資源を確保するための前哨であったと考えられます。これを絶頂として、以後二里岡文化は徐々に衰退していきました。
先行する二里頭文化に影響を受けており、その青銅器は二里頭文化の様式や製造法を受け継いでいますが、二里頭文化の時期よりも青銅器の様式は均一になり洗練され、青銅器の使用が広まったとみられます。

B.C.1500  

西戎:羌

小恩達文化

【チベット自治区】(紀元前1500頃〜紀元前1000頃)

1986年から発掘が始まり、現在までに住居跡、石棺墓、大量の石器や陶器が見つかっています。

 
B.C.1400  

西戎:羌

寺洼文化

【蘭州以東〜青海省】(紀元前1400頃〜紀元前700頃)
大規模な集落遺跡で、農業と牧畜をしていた跡があります。
発掘された遺物は、陶器、青銅器などで、墓からは殉死者の骨なども見つかっていることから、当時すでに奴隷社会が形成されていたと考えられます。
一節では古代羌人の原始社会だったとも言われています。『括地志』には"隴右、岷、洮以西は羌也"、『後漢書・西羌伝』には"河関之西南羌地是也"とありますが、"河関之西南"とは蘭州西南部及び青海省東部を指し、即ち黄河上流の洮河、大夏河、湟水流域のことです。
この地域はちょうど、辛店文化、卡約文化及び寺洼文化の中心部をなしています。
出土した彩陶は炭素14測定によって、その年代が紀元前1400〜紀元前700年と考えられており、この時代が古代羌人の黄河上流における最も重要な活動時期とみることができます。

 

呉城文化

【江西省】(紀元前1400頃~紀元前1000頃)
江西省樟樹市呉城鎮で遺跡が発見され、鄱陽湖平原一帯に展開した青銅器王国です。
良渚文化や石家河文化の崩壊後に二里岡文化の影響で抬頭したもので、重要な銅鉱産地の銅嶺遺跡(瑞昌市)を有して高度な鋳銅技術印紋陶を特色とし、盤竜城衰亡の原因を担ったとされています。
1989年には、江西省新淦大洋洲で堤防護岸工事中に殷代後期の大規模な墓が発掘されています。
副葬品は約2000点で、独特の青銅器を特色としています。
磁器が発見されていいて、中国文化の重要な一翼を担うこれらの文物の源流がここから出たのではないかとする説もあります。

   
B.C.1300  

巴蜀:羌⇒氐

十二橋文化

【四川省】(紀元前1300頃~紀元前500頃)

三星堆文化に続く川西文化です。
尖底土器を特徴としてB.C.13世紀頃から成都方面に抬頭しました。 西周文化の影響が強く、克殷を援けた代償に多量の文物が導入されたものと思われ、宮殿址や100m四方の基壇址なども発見されています。 春秋時代中期頃に頻発した洪水で衰退し、東方から進出した巴人に征服されましたが、川西文化は巴文化と融合して巴蜀文化に発展しました。

殷墟

【河南省安陽市】(紀元前1300頃〜紀元前1046)
殷王朝後期の遺構。清朝末期に甲骨が出土したことで1928年から本格的な発掘が始まりました。

大量の甲骨や青銅器、複数の巨大王墓、祭祀基壇が発見されています。

B.C.1200  
B.C.1100

夏家店上層文化

【内モンゴル自治区赤峰市】(紀元前1100頃〜紀元前500頃) 
東胡の南下と同地の征服によって成立した文化です。同時代の西周の影響も受けています。
主に牧畜を行い、農耕や陶器の製作に関する技術は大きく後退して、直筒型の形状をした陶器が増え、食器の様式も底部を足底で支える底が深い様式から、底が浅い平底の物へ変わっています。
石器が大きく発達し土器や骨器と共に多く出土しています。また、青銅器の出土が増え、剣、槍、戈、鏃などがあり、動物の頭部を模した特徴的な図柄が見られるようになっています。後期になると周様式の青銅器が出現します。
夏家店下層文化に比べると恒久的な建築物が少なくなり、下層文化の建築物またはその材料の流用が多くなっています。
家畜の骨の出土は、豚に代わって牛が増え、馬も多く見られ、馬具や銅製車具も多く出土しています。
夏家店下層文化に比べ、支配者層と見られる副葬品を多数伴う墓が造られ、中には弁髪と思われる埋葬者の描かれた銅版も発見されています。
燕の興隆に伴って征服され、滅亡しました。

 
B.C.1000

西戎:羌

諾木洪(ノムホン)文化

【青海省】(紀元前1000頃〜)

1959年に青海省ツァイダム盆地で発見された青銅器時代後期の文化です。標式遺跡はシャルヤマカブ(夏尔雅玛可布)遺跡。60〜80cmの文化層が堆積していて、川原の丸石を積み上げた幅1メートル、高さ50センチの石垣が発見されています。夾砂紅陶、灰陶などの土器片、石器、馬・牛・羊・ラクダの獣骨や獣骨で作った笛などの楽器が出土している他、ヤクの毛を使用した、衣類や生活用品などの毛織物が多く見つかっています。これらは現在のチベット絨毯の原型とされています。また、ヤクをかたどった陶器は精巧な作りが特徴です。

 

 

周王朝=羌族系

西周

(紀元前1023〜紀元前770)

B.C.900
B.C.800
B.C.700    

春秋

楚、呉、越

東周

(紀元前770〜紀元前256)

紀元前1023年:武王が殷を滅ぼし、周を興しました。

春秋

秦、晋、鄭、衛、宋、陳、魯、斉、燕
B.C.600
B.C.500  

巴蜀:羌⇒氐

巴蜀文化

【四川省】(紀元前500頃~紀元前316)

十二橋文化と東部渓谷文化の巴族文化が春秋中期頃に融合した文化です。

独自色の強い『船棺葬』が特徴です。巴蜀文化の特徴とされる円鉞把槍剣は巴文化の名残とされ、懸崖葬が土葬になった後も船形棺は用いられ、長江流域の船棺葬は清代まで継続したことも確認されています。

B.C.400
B.C.300

戦国

戦国

秦、韓、趙、魏、燕、斉

B.C.200

秦(西戎:羌?)

 

年代 遼河流域 青蔵高原 長江上流域 長江中流域 長江下流域 黄河流域上流 黄河流域中流 黄河流域下流