秦の始皇帝陵と兵馬俑坑 |
言うまでもなく、中国の歴史上初めての皇帝となった始皇帝のお墓です。
陝西省臨潼県にあります。
始皇帝は皇位に就くとすぐに陵墓の建設にとりかかったと言われています。宰相の李斯が設計を担当し、章邯が建設を監督、39年の年月を費やして造られた、中国史上もっとも規模が大きく完全な形で残っている陵墓です。
当時の秦の人口は約2000万人とされ、そのうち陵墓建設に72万人余りが携わりました。

陵墓は二重の土壁で囲まれており、現在は内側はほぼ正方形で周囲3890m、外側は長方形で周囲6294m、高さは風雨の影響を受けたものの51mあります。『漢書・楚元王伝』によると、当時の高さは116mもあったそうです。
1980年12月に、始皇帝陵西側から彩色された銅製の馬車が発掘されました。これはこれまでに発掘された物の中でも、最も古く最も完全な形で見つかったもので、非常に精巧な作りになっていて、当時の技術力の高さがうかがわれます。
兵馬俑は秦始皇帝陵の東1.5kmに位置し、約2200年前始皇帝を永遠に守るために副葬されたものです。
1974年3月に地元の農民が井戸を掘った時、偶然に発見しました。その後、考古学者による一年余りの調査の結果、これを1号兵馬俑坑と認めました。
1号俑坑は、東西約230m、南北約62m、深さ4.5~6.5m、総面積1万4260平方メートルの規模で、陶俑、陶馬が約6000体あると推定されています。

1976年4月には、1号俑坑の東側約200mの場所に、2号俑坑が発見されました。東西約124m、南北約98m、深さ約5m、総面積約6000平方メートルの規模で、陶俑、陶馬が約1300体あると推定されています。
1976年5月には1号俑坑の西側約25mの場所に3号俑坑も発見されました。規模は東西約28.8m、南北24.57m、深さ約5.2~5.4m、総面積約520平方メートルです。陶俑、陶馬は72体で規模は小さいですが、1号、2号の俑坑を統率する指揮軍団とされています。
1976年夏、1号俑坑の中部北側2号、3号俑坑の間で、4号坑が発見されました。規模は東西48m、南北75m、現地表からの深さは4.8m、総面積3600平方メートルあります。この俑坑は秦王朝末期の農民蜂起の影響で未完成のまま残されています。
現在も2号俑坑の発掘は続けられています。1979年にはこの上に兵馬俑遺跡博物館が建設され、出土物を見るだけでなく発掘の様子も見ることができます。 |
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