黄巾の乱討伐の群雄の一人、曹操は董卓に拉致されていた献帝を擁立し勢力を拡大し、200年に北方の群雄・袁紹を官渡の戦いで破り華北を統一した。
曹操は208年、江東の支配者・孫権と荊州の支配者・劉表の客将・劉備の連合軍と赤壁において戦うが破れ、その後劉備は蜀で勢力を築き、曹操・孫権・劉備による三国鼎立となった。
220年に曹操の子曹丕が東漢献帝に禅譲を迫り、魏帝として洛陽に都を置き魏王朝を建国、蜀の劉備は翌221年に成都に都を置き蜀漢を興し、呉の孫権は 229年に建業に都を置き孫呉を興した。これ以降を三国時代という。
234年に蜀の軍師・諸葛亮が亡くなると、魏の司馬懿が魏朝の実権を握り、その子司馬師、司馬昭と引き継がれ、263年、蜀を滅ぼし、司馬昭は晋王に封じられる。
司馬昭の死後、その子の司馬炎が晋王を継承し、武帝として即位、魏が滅び西晋時代が始まる。280年には西晋が呉を滅ぼし天下を統一した。